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韓国のコンビニ [韓国]

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私は、「コンビニ」の専門家ではないが、日本のコンビニという業態は日本独自に異常なまでに進化したものだと思っている。約20年前、アメリカのフロリダにも、当時住んでいたハワイにも「セブン・イレブン」はあったが、営業時間や品揃えという点で、日本のコンビニとはかなり異質なものだった。

 

今回、ソウル市内を歩いて、あちこちにセブン・イレブンやファミリー・マートがあることに驚いた。私の記憶では、18年前にはなかった。ただ、私が入ってみた数軒に限って言うなら、日本より店舗面積が狭く、お弁当コーナーがきわめて限定的なのが共通していた。韓国地場のコンビニチェーンとしては、GS25が大手とのことだったが、そこも同様だった。

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案内してくれたC君によると、韓国人は一人で昼食をとることを好まず、何人か一緒で食べるので、お弁当という「個食」のイメージが強いものはあまり好まれないのだという。ただ、お弁当は集団で食べることも可能なので、それだけが理由ではないと思う。日本のコンビニにおけるお弁当の製品開発、日々の生産計画、製造・調理、配達はきわめて高度に発達したシステムであり、ハード、ソフト両面にわたる相当の投資がないと、なかなか真似できないという事情が大きいのではないかと思う。もっとも、同じ資源をもっとほかに振り向けるべきではないかと言われれば、私も少なくとも半分は首肯するのだが・・・。

 

一方、韓国と日本の共通点もある。24時間365日営業という特徴だ。これは、フランスやスイスなど大陸ヨーロッパではまずあり得ないことだ。(ヨーロッパで、私が唯一見かけたコンビニはストックホルムのセブン・イレブンだった。)24時間365日営業という業態が社会的に許容されるか否かというのは、その国の経済や労働市場を考える上で、結構重要なポイントだ。いつか、改めて論じたい。

 


韓国の大学の英語事情 [韓国]

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学会の会場となったS大学は既に夏休み中で(韓国の大学は3月に新学期が始まるので、7月は既に夏休みだ)学生の姿はまばらだったが、食堂で数人の女子学生が(注:S大学は女子大)、若い欧米人の男女数人と一緒に昼食をとっているのを見かけた。さらに食堂の壁のあちこちに“English Only”などという掲示が張り出されている(写真↓)。S大学の先生に尋ねたところ、夏休み中に、希望する学生に対しネイティヴスピーカーによる英会話の特訓コースを設けているのだという。

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通常の学期中でも、韓国の大学は英語による授業に力を入れている。45年前からだというが、主だった大学はどこも、(英語以外の)専門科目を英語で教える授業を導入しており、新規採用の教員に対して、何コマか(例えば3コマ)こうした英語による授業を担当することを、雇用契約書に明記し義務づけている。最近は、こうした傾向がより小規模の大学でも広がりつつあるらしい。

 

はたして学生は英語オンリーの授業について行けるのか、とS教授に尋ねたところ、

今は過渡期なので、ある程度の無理は仕方ない、

通常の韓国語による授業は相対評価で高成績をとるのが難しいのに対し、英語による授業ではそうした「カーブ」(あらかじめ割り当てられた割合のこと)を外して甘めの評価をすることで、学生の履修を促している、とのことだった。

 

また、K国立大学のK教授は、

韓国では就職の際、英語力が重視されるので学生のモチベーションは高い、

と言っていた。私の教え子だったC君も、財閥系企業に就職しようと思ったら、TOEIC900点以上ないと英語力が十分とは見なされないと言っていたので、日本とは相当に事情が異なる。ちなみに、財閥系企業の大卒初任給は年収340350万円程度で(理工系の場合はさらに高く450万円程度)、非財閥系企業より初任給の時点で既に100万円以上高いという。

 

韓国はもともと欧米留学志向の強い国で、私の世代でもアメリカに多くの韓国人留学生がいた。日本は最近、欧米への留学生が減っているようだが、韓国の若い世代では、ますます留学志向が強まっているように感じた。実際、今回の学会でも、若手の韓国人研究者は流ちょうな英語で話す人が多かった。語学というのは才能や興味といった要素もあるが、煎じ詰めればサバイバルのために必要かどうかだ。善し悪しはともかく、この点に関し、韓国人が日本人よりずっとハングリーなのは否定すべくもない。

 


ソウルの「南北問題」 [韓国]

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学会2日目(土曜日)は、第1セッションだけ聞いて、そのあとは、かつての私の教え子で韓国人のC君にソウル市内を案内してもらった。また、その日の晩は、S教授の招待で、S教授の長男(アメリカの大学を出てアメリカの大学院に在籍中。アメリカ国籍を取得)、C君とともに、江南の韓国レストランでごちそうになった。この日に、いろいろ見たり、聞いたり、話したりしたことを記したい。

 

C君に案内してもらったのは、江北の典型的な観光コースだ(ただ、時間の制約上、宮殿やナムサン(南山)には行かなかった)。まず、地下鉄駅のチョンノ(鐘路)3街から1919年の3.1独立宣言で有名なタプコル公園を通って、インサドン(仁寺洞)の通りを北上した。18年前と比べ、この通りや商店は観光客向けにリニューアルされていた(冒頭の写真)。ちょっと横町に入って路地裏の韓国料理店で昼食をとった。

 

昼食後は、ミョンドン(明洞)を通ってナンデムン(南大門)に向かった。途中、李明博大統領がソウル市長時代に復元したチョンゲチョン(清渓川)を渡った(写真↓)。この辺りは、大銀行のビルが建ち並び、ちょっと東京の大手町のような感じの一角だ。土曜日だったのでビジネス街の人通りは多くなかったが、さらに南下してミョンドンに入ると、地元の買い物客や観光客でごった返していた。日本語の客引きの声も懸けられるようになる。

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ナンデムン市場に入ると、前に進むのが難しいほどの人混みだった(写真↓)。「バッタもんお安いですヨーッ」と日本語の掛け声が響く。有名ブランド名を記した衣類等が多数売られていたが、明らかに正規品ではない。現在でも、こうしたものが多数、堂々と売られているというのはちょっとしたショックだった。

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歩き疲れたので、ホテルに戻って一休みしたが、途中高速道路の高架下の脇道にゴミ袋がいくつか投げ捨てられており、ドブネズミが何匹かたかっていた(写真↓)。これまた、ショックを受けた。どうも高度成長の成果が十分に行き渡っていないようだ。

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韓国では地域間の対立・差別感情も依然強いようだった。私が多くの韓国人とつき合うようになったのは、約25年前のアメリカ留学時代だが、そのころよく全羅道に対する差別や、全羅道と慶尚道の対立について聞かされた。こうした地域間の対立感情は今も根強いという。また、今回、首都のソウルでも、漢江(ハンガン)の北側の江北(カンブッ)と南側の江南(カンナン)で、街並みや住民の所得水準が大きく異なり、住民の政治的立場にもかなりの違い、対立感情があると聞いた。私が主に歩き回ったのは江北だが、江南はクルマで通っただけでも建物や街並みがモダンな感じに整備されていることが見て取れた。

 

S教授やC君に、「韓国は朝鮮半島の南北対立だけでなく、ソウル市内にも南北対立があるんだ」と私はからかってしまったが、彼らにすれば他人事ではないだろう。S教授の運転で市内を走っていたとき、ナンバープレートに地域・都市名が入っていないクルマが多いことに気づいた。「確か以前は地域・都市名が入っていたような気がするが」と聞いたところ、クルマの所有者の地域・都市名がわかるのを防ぐために廃止したのだという。日本でも、例えば「品川ナンバー」と「足立ナンバー」で、それを見る人が何らかの連想をしないわけではないだろうが、だからと言って地名表記を廃止しようという議論は聞かない。日本の場合、地域差はあるものの、韓国ほど激しくはないし、過敏でもないということなのだろう。

 


韓国の財閥(チェボル) [韓国]

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韓国経済を理解する上で不可避なポイントは、財閥(チェボル)の存在だ。これを、戦後日本の旧財閥系企業グループや、大企業と下請企業(協力会社)の系列関係と同じように考えては大いにミスリーディングである。

 

韓国のチェボルの第一の特徴は、家族・同族が企業グループを所有し、かつ経営していることだ。したがって、彼ら一族への富の集中は凄まじいものがあると思われる。日本でも戦前の財閥は一族が企業グループを所有していたが、戦後の財閥解体により同族的持株会社は整理され、大企業の分割も行われた。この結果、現在に至るまで日本のほとんどの巨大企業はサラリーマン経営者が経営している。

 

戦後の日本における財閥解体がもたらした影響について、香西泰氏は次のように記している(香西泰『高度成長の時代-現代日本経済史ノート』日本評論社、1981年、p. 27)。

 

「財閥解体は日本経済に何を遺したか。産業の集中度が低下し、分割された企業が独立企業としての体制を整えようとすることによって、企業間競争に新しい活気がふきこまれた。パージによって、若返った経営者は、三等重役とからかわれながらも、財閥解体に処して企業を守り、さらに労働攻勢に身をさらすことを通じて、新しい産業指導者captains of industryとして成長した。経営と所有の分離が戦後日本ほど徹底したところはない。」

 

「財閥解体以後、いわゆる財閥の復活があり、企業系列化の進展があった。かつて財閥本社の果たした役割は、主力銀行によって果たされていくように見えた。しかし財閥本社の内からする統制にくらべれば銀行の外からする統制力は弱く、産業資本の地位は戦前より格段に強化されていた。戦後日本の旺盛な企業家精神と高い投資性向にとって、財閥解体は有利な影響を遺すものであったといえよう。」

 

一方、韓国の場合、1998年のIMFショックにより、デーウ(大宇)グループのように経営難から解体されたチェボルもあるが、多くのチェボルはむしろその経済支配力を強化したように見える。

 

韓国のチェボルの第二の特徴は、多くの産業分野に多角化したコングロマリットであるという点だ。日本の戦後の財閥系企業グループも多くの産業分野をカバーしていたが、それぞれ独立企業としての性格が強く、各業界のトップ企業は非財閥系企業であることが多かったという点で異なる。

 

日本では、サムスン(三星、サムソン)と言えば電機メーカー、ヒュンダイ(現代、ヒョンデ)と言えば自動車メーカーというイメージが強いが、それは輸出製品しか見ていないからだ。韓国で暮らす人たちにとって、これら巨大チェボルの経済的プレゼンスははるかに大きい。ソウル市内を歩くと、壁面にヒュンダイとか、サムスンとか描かれた高層アパートをしばしば目にする。案内してくれた私のかつての教え子で韓国からの留学生だったC君に、「あれは財閥グループの社宅なの?」と聞いたところ、そうではなく、これら財閥グループの不動産会社が開発、分譲したマンションなのだと言う。ミュンドン(明洞)では、ユニクロの隣にサムスンのファッションストアまであって驚いた(もっとも、サムスングループの第一毛織は、第一精糖と並んで、1948年創業時から続くビジネスである)。

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韓国のチェボルの第三の特徴は、広範な事業分野をカバーしているものの、銀行を持つことは認められていないという点だ。このため、チェボルへの資金供給の重要な担い手は政府系金融機関であり、政権とチェボルの間に密接な関係が生まれる。おそらく政治と経済界(韓国の場合、ほぼチェボルのこと)の「癒着」は日本の比ではなく、大統領退任後、さまざまなスキャンダルが噴出するのもこうした背景がありそうだ。ちなみに、現在のイ・ミョンバク(李明博)大統領はヒュンダイ・グループの現代建設でCEOまで上りつめた人物であり、ミスター・チェボルと言ってよい。

 

「高い経済成長を実現しながら経済格差が拡大しているのはなぜか?」という問いに対して、多くの韓国人が漠然と(人によっては明確に)感じているのはチェボル主導の経済構造だ。チェボル企業が輸出を伸ばし、完成品の生産が増えれば、部品や機械設備の購入が増え、それがもし非チェボル企業にも及ぶなら、いわゆるトリクルダウン(trickle-down、大企業や高所得者の所得増加が、やがて中小企業や低所得者にもしたたり落ちていく、との考え)が起こるはずである。しかし経済のグローバル化が進むなか、国際的分業ネットワークの(再)構築が行われ、輸出企業の生産増加が、必ずしも国内の他企業の生産増加をもたらすとは限らない。「グローバル化と両極化」の関連如何、という今回の学会の問いにきちんと答えるには、こうした国際的分業ネットワークの実態を実証的に明らかにしなければならない、と改めて痛感した。

 


18年ぶりのソウル-経済成長と格差問題 [韓国]

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7月の中旬、34日でソウルに行ってきた。私のハワイ時代からの友人であるS大学のS教授が、韓国のある経済学会の会長として主宰した国際学会に招待されたのだった。古いパスポートを調べると、前回行ったのは19949月、私がハワイの研究所に勤めているときだったので、今回の訪韓は18年ぶりということになる。私は90年代の中頃まで、韓国経済や労働市場についてある程度追いかけていたが、ハワイから日本に帰国して以降は、すっかりご無沙汰になってしまっていた。そんなわけで、どの程度コメント役が務まるか不安だったが、いい勉強の機会だと思い、S教授からの招待を快諾した。

 

学会の共通テーマは、「グローバル化と両極化」だった。恥ずかしながら、私の予備知識と言えば、日本での一般的なニュース報道の域を超えるものではなく、1997年の東アジア経済危機以降、IMF主導でドラスティックな新自由主義的経済改革が進められこと、近年は電機、自動車など輸出産業の伸長がめざましいこと、かつては敵対的だった労使関係もかなり落ち着いてきたが、日本と同様、非正規労働のウェイトが高まっていることなどだった。

 

今回の報告者の一人、L教授が示した資料によると、ジニ係数などの所得不平等度指標は、1990年代の初めまでは低下傾向を示したが、その後、上昇傾向に転じ、199899年のいわゆるIMFショックで跳ね上がった後も高水準となっている。日本の高度成長期の経験によれば、経済成長は所得分配の平等化をもたらしてもよさそうだが、どうもそうはなっていないようだ。ちなみに、日韓の経済成長率の推移をグラフに描くと次の通りだ。

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両国の成長率が利用可能な1971年以降の40年間についてみると、日本の成長率が韓国より高かったのは、1972年、1980年、1998年の3ヵ年のみであり、それ以外の年はずっと韓国の方が数%ポイント高い。特に1970年代から90年代は正に高度成長期と言ってよく、2000年代以降も5%前後の成長率だ。1990年代以降、ずっと低成長が続いている日本から見るとうらやましい限りである。

 

ただ、ソウルの街をあちこち歩いたり、何人かの話を聞いたりすると、韓国経済も大きな問題を抱えているとの感を強くした。(次回に続く)

 

*写真は、ソウルの北東方向にある宿泊先のホテルからの眺め。高層マンションと古くからの低層住宅が混在する光景は、ソウルでは珍しくない。私は、1980年頃、(旧)経済企画庁の「経済白書」担当課長が日本の二重構造を「新宿副都心」(西口の高層ビル群と東口の雑然とした歓楽街を対比)に喩えたことがあるのを思い出した。