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金沢-金沢城 [日本]

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東山から材木町経由で金沢城に行った。金沢城の代表的な玄関口と言えば、兼六園との通路にもなっている「石川門」だ。以前は、お城らしい建物と言えば、これしかなかった。しかし、城内にあった金沢大学が郊外に移転して以降、城内の整備が進み、いくつかの建物が復元されてきた。最初に復元されたのは「菱櫓(ひしやぐら)・五十間長屋(ごじっけんながや)・橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)」だ(20017月)。次いで「河北門(かほくもん)」が復元され(20104月)、最近は「玉泉院丸庭園(ぎょくせんいんまるていえん)」が復元された(20153月)。

 

お城と言えば天守閣だが、金沢城にも当初はあったらしい。しかし、1602年に焼失して以降、再建されなかった。また、1759年(宝暦9年)の火災で城の大半が焼失したあと、本丸の櫓も再建されなかった。子供のころは、天守閣がなく、本丸に何らシンボル的な建物がないお城って、あんまり威張れないなと思ったこともある。しかし、歳のせいか今は考えが変わった。門や石垣がこれだけ立派なお城はそんなにない、それだけで、否、それ故に誇らしいのだと。

 

<石川門、三の丸北園地>

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<菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓、三の丸広場、二の丸広場>

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<河北門、湿生園、新丸広場>

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<三十間長屋>

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<辰巳櫓跡、丑寅櫓跡>

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<鶴丸倉庫>

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<玉泉院丸庭園>

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<尾山神社>

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金沢-東山 [日本]

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卯辰山の山頂付近から瓢箪池まで下りてきたが、この先は天神橋に下るルートと東山(旧・観音町)に下るルートに分かれる。私は、後者のルートを選んだ。観光地としてすっかり有名になった「ひがし茶屋街」を歩いてみたいと思ったからだ。

 

この辺りは、私の自宅からは遠かったが、小学校の同級生が多く住んでいたため、小学生のころは毎日のように遊び回っていた場所だ。したがって、当時は天神橋と浅野川大橋の間に橋(梅ノ橋)は架かっていなかったこと(水害で流されたと聞いていた)、今は徳田秋声記念館となっている場所には大きな料亭があったことなど、はっきりと記憶している。ただ、「ひがし茶屋街」がどんな感じだったかという記憶は曖昧だ。今のように観光地としてきれいに整備された通りや家並みでなかったことは確かだが・・・。ここに来るたびに、「観光地」は(少なくとも部分的には)作るものだとの感を深くする。これをマーケティングというのだろう。

 

私が通った材木町小学校の前も通った。「若き力」の像は昔と変わらずにあった。しかし、この小学校も近く、近所の味噌蔵町小学校と統合されるという。市内は空き家や空き地、駐車場が目立つようになった。時代の自然な流れというべきか。

 

<ひがし茶屋街>

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<旧・御徒町>

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<浅野川>

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<材木町小学校>

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金沢-卯辰山、花菖蒲園 [日本]

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奥卯辰山墓地の墓参後、卯辰山を尾根伝いに歩き、天神橋、東山方面に向かった。この辺りは私が通った小学校の校区であり、子供時代は何度も来た場所だ。半世紀も前のことゆえ、なくなったもの、新たにできたもの、そのままのもの、変わったものなど、いろいろだ。例えば、卯辰山の山頂には「ヘルス・センター」という動物園や水族館を併設したレジャー施設があったが、今やそれらの建物は跡形もなく、「見晴台」という小さな公園に変わっていた。よく草野球をした運動場はほぼそのままだった。

 

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さらに、浅野川にかかる天神橋(市内から卯辰山に上る際の玄関口に相当し、代表的なバス・ルートでもある)方向に向かって山を下りた。途中、「花菖蒲園」に立ち寄った。花菖蒲は既に終わりかけだったが、アジサイは見事だった。ここは、元々は緩やかな傾斜地に瓢箪状の池があり、「瓢箪池」と呼ばれていたところだ。冬の時期は、この辺りでよくスキーをして遊んだものだ。とても懐かしい。

 

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金沢-奥卯辰山墓地 [日本]

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先週、久しぶりに金沢に帰省した。遅ればせの北陸新幹線というわけだ。長野-金沢が約1時間なのには驚いた。なんせ昔の特急なら富山-金沢で1時間近くかかったからだ。金沢駅はお土産物売り場がリニューアルされ、構内は観光客で結構混んでいた。多くの人はたぶん気づいていないと思うが、実は新幹線開通を機にもう一つ変わったことがある。改札がようやく自動化されたことだ。まだ不安なのか、駅員さんが改札口に出ていたのがおかしかった。

 

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帰省2日目は好天に恵まれ、まず奥卯辰山墓地に墓参に出かけた。途中、私が卒業したK中学校がある。校舎自体は大きく変わっていないが、屋上の天文台がなくなっていた。中学校の横を流れる浅野川を渡ったところは、鈴見、若松、田上(たがみ)などと呼ばれる地区だが、昔は田んぼだらけだったのがすっかり住宅地に変わっている。しかし、奥卯辰山へ上る山道は昔とあまり変わっていない。豪快なヤマブキの花、竹林など写真撮影に夢中になってしまった。そして久しぶりに墓参を済ませ、何だかホッとした。

 

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岐阜県明智町の「大正村」 [日本]

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前回、20114月に訪れた岐阜県恵那市明智(あけち)町の「大正村」で大正天皇に興味を抱いたと書いたが、そもそも私はなぜこの山奥の「大正村」に興味を持ったのか。それは偶然というしかない。前年の夏まで2年間、ヨーロッパに滞在し、あちこちの国や町を訪ねる機会があった。魅力的なところが多かったが、よく考えると日本にもまだ行ったことのない魅力的な場所がたくさんあるとの思いが募ってきた。人間はわがままなものだ。日本にいると海外に行きたいと思い、海外にいると日本に行きたいと思うのだから。それでネットサーフィンをしていて偶然出会ったのが「日本大正村」だった。

http://www.nihon-taishomura.or.jp/contents/index.html

こうして日本に帰国後8ヵ月ほどして夢をかなえたというわけだ。

 

朝早く東京を出て中央高速で恵那まで行き、そこから一般道に入ったが、途中ダム湖があったりして、山深いところに向かっているんだなと実感した。恵那からは第3セクターの明知鉄道もあり、明智駅まで約50分かかるようだ。

 

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「大正村」の主要スポットは半日あれば十分回れるが、前回取り上げた「大正時代館」以外に、「日本大正村資料館」、少し高台にある「旧三宅家」の近くから見渡す街並みや満開の桃の花がよかった。ヨーロッパも良いけど、やっぱり日本の田舎って良いなと実感した小旅行だった。

 

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「大正村」の大正天皇 [日本]

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岐阜県恵那市明智(あけち)町に、「日本大正村」と呼ばれる一群の資料館、建物、街並みがある。「明治村」のように新たに開発された土地に建物群を移設したのではなく、元々の街並みや建物をほぼそのまま活用しており、特段の境界もない。私は、20114月に連休を利用してこの地を訪れたが、「大正時代館」の大正天皇に関する展示が興味をひいた。昨日(2015627日)、夜7時のNHKニュースを見て、そのことを思い出し、ブログに記しておこうと思った。

 

NHKは、宮内庁に要求していた「大正天皇実録」が開示されたとトップニュースで伝えていた。以前公開を要求した際は、ほとんど黒く塗りつぶされていたという。しかし、報道の限りでは、「実録」の内容は、大正天皇が山県有朋と何度か会っていたとか、学習院時代に進級できなかったとかいうあまりニュース性のないものだった。(「宮中某重大事件」などに関し新たな事実発見があったというのなら話は別だが。)むしろ、この文書の公開をなぜ宮内庁が拒否していたのかに興味がある。NHKニュースが、大正村資料館の大正天皇に関する展示を思い出させたのは、それが私の心にずっとある種の引っかかりを残していたからだ。以下、その時に撮った写真をもとに「大正時代館」の展示パネルを紹介しよう。

 

<大正時代と明知町>

まず、「大正時代」(19121926年)と当時の明知町(現在は「明智」と表記するが、当時は「明知」と表記していた)に関するパネルから。「大正時代の十大ニュース」をみると、大正時代は国際的にも国内的にも新旧勢力の対立が強まり、体制(レジーム)が大きく揺らぎ、あるいは変革され、希望と不安の交錯する激動の時代であったとの感が強くする。国際的には、第1次大戦、ロシア革命の勃発、ベルサイユ体制の成立とナチス・ドイツの挑戦が全てこの時代に起きた。日本では、明治の藩閥政治が後退し、政党政治が台頭したが、それが確立したとは言い難い。桜島大爆発、関東大震災と大きな天災が続き、米騒動など国民の生活への不満が高じた。一方、国際社会における日本国としてのプレゼンスは高まり、それが対華21ヵ条要求などとなって表れた。誰が天皇であったとしても、こうした激しい時代の動きに無縁でいることはできなかったであろう。

 

当時、恵那の田舎町、明知町はこうした時代の奔流と無縁だったとは思わないが、製糸業や商業で栄え、なかなか活気があったようだ。この点は過疎化が進んだ現在と大いに異なる。

 

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<大正天皇>

次に、大正天皇に関するパネルを見よう。まず、「大正天皇の基本解説/正しく評価されなかった天皇」。「幼少期は病弱だったが、九条節子(後の貞明皇后)と結婚後、体調が回復。明治末期に沖縄を除く全国と大韓帝国を回る。」「天皇になってからも、皇太子時代の比較的自由な生活を続けようとするが、明治天皇を理想とする政府には受け入れられず、無理を重ねるうちに再び体調を悪化させる。」「大正天皇が体調を悪化させる1910年代は、・・・ 病弱な天皇とは対照的に、若くて健康な皇太子(後の昭和天皇)を事実上の天皇にしようとする動きが出てくる。その裏では、天皇の病気が誇張され、天皇はあたかも幼少期からずっと病気がちであったかのような逸話が作られてゆく。」

 

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「誕生から御成婚まで(18791900)」。「1879831日、父明治天皇、母柳原愛子(なるこ)の間に誕生。」「明宮(はるのみや。大正天皇のこと)は第三皇子として生まれたが、この時までに生き残った皇子・皇女は一人もいなかった。」「14歳時、束縛や規律を嫌う皇太子は、過酷な学習スケジュールを避けるために、学習院を中退し、赤坂離宮内の御学問所で個人授業を受けることになる。」

 

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「御成婚・行巡啓」。「1900年、嘉仁(よしひと)皇太子(後の大正天皇)、九条道孝公爵四女節子(さだこ)と結婚。皇太子満20歳、九条節子満15歳。」「明治天皇とは対照的に、結婚後の嘉仁皇太子は子供に恵まれた。」「皇太子は御結婚後沖縄を除く全国を巡啓し、韓国も行啓した。この間に健康を回復されたばかりか、臣下や国民の誰とでも屈託なく話したがる性格が、より発露された。」「謹言実直で余計なことはしゃべってはならぬ、という帝王学を身につけていた明治天皇に対し、思ったことは何でも口にするやんちゃ坊主的なところがあった。」

 

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「大正天皇」。「幼少の時は病弱だったが、践祚(せんそ。皇子が天皇の位を受け継ぐこと)直後はきわめて健康的なイメージで、元気に公務をこなした。」「裕仁皇太子(後の昭和天皇)は、思ったことを何でも口に出す(大正)天皇とは正反対に、明治天皇を手本とし、表情を崩さずに威厳を保つことを繰り返し教えられた。」「1919年頃から、まっすぐに立っていることができない、言葉が明瞭に出ないなど明らかな異常が見られ始めた。翌(1920)年、政府は葉山で療養中の天皇の病状を国民に向け発表する。」

 

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「大正天皇崩御」。「19261225日、・・・ 天皇の手を最後まで握りしめていたのは、天皇の幼少期以来久しぶりに接し、その変わり果てた姿を目にした柳原(生母)であったという。」

 

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これらのパネルに書かれた内容がどの程度正しいか、私は判断できない。しかし、明治天皇を支持するグループが大正天皇を快く思わず、昭和天皇への早期のバトンタッチを期待した(あるいは策動した)との仮説はありうるかもしれないと思う。

 

最後に、大正天皇崩御を伝える「東京日日新聞」の号外(大正151225日)。(大正の次の)「元号は「光文」「大治」「弘文」等の諸案があったが」「光文」に決定した、とある。(実際は「昭和」になったので、もちろん誤報。)

 

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<大正天皇宸筆の書>

大正天皇宸筆の書もいくつか展示されていた(いずれも複製)。「公正治化之本(こうせいちかのもと)」。「昔、中国に晏嬰や子産という名君がいた。国は異なるがそれぞれ民政に公平な取り組みをしたために国がよく治まったという。政治の公正さは国を治める基本であるという意。」

 

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「終始一誠意(しゅうしいちせいい)」。「思い立った時から最後まで自らの信ずる道を進む時には、言うことと行うことが一貫して、しかも誠を貫ぬかなければならない。」

 

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「徳感人風動物(とくかんじんぷうどうぶつ)」。「徳とはほどこしの心、人に対するやさしさである。人にやさしさの心を持てば、人の心(風)もなごむものだ。生きとし生けるものすべてに徳の心が行き亘るようにしたいものだ。」

 

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私に書を語る資格など全くないのだが、素人印象として、1枚目と23枚目はかなり書体が異なるように見える。また、2枚目の「意」が尻すぼみに見えること、3枚目の「感」「動」「物」の左払いが異様に長いことなどは、心の不安定さを示しているように見える。


鬼怒川、奥日光・湯元 [日本]

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先週の週末(62021日)、気心の知れた飲み友達数人で鬼怒川、日光に行った。初日は鬼怒川で温泉三昧、二日目は奥日光の湯元温泉、湯ノ湖周辺で、雨中の写真撮影。上の写真は湯元温泉で撮ったルピナスという花だが、この時期の日光ではよく見かける。湯ノ湖では、かなり激しい雨の中、腰まで浸かりながら釣りをしている人が何人かいて驚いた。

 

湯元温泉や湯ノ湖は昨夏も訪れたが(2014813日付、当ブログ「日光-刈込湖・切込湖」参照)、その後、テレビ番組で、当時の皇太子(今の天皇陛下)が終戦の年、この地に疎開していたことを知った(*)。今ではその痕跡もほとんどないが、それを知ってこの地を散策すると感慨深いものがある。「夏草や、兵(つわもの)どもが夢の跡」(芭蕉)。

 

皇太子は、19445月から沼津、同年7月から日光、19457月から奥日光・湯元に疎開した。湯元での疎開先、「南間ホテル」は2003年に自己破産し、その跡地は「おおるり山荘」となっている。

 

<鬼怒川>

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<竜頭の滝>

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<日光湯元>

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<湯ノ湖>

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釧路(3)-タンチョウ [日本]

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釧路と言えばタンチョウ。32728日につぎの3ヵ所を訪れた。

①鶴見台(鶴居村の中心部から6キロほど南)

②伊藤サンクチュアリ(鶴居村の中心部近く)

③釧路市丹頂鶴自然公園(釧路空港の近く)

 

<鶴見台>

53号線沿いの比較的狭い一画。白鳥も多数来ていたが、タンチョウにウィルスを感染させるおそれがあると環境省の人が追い払っていた。

 

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伊藤サンクチュアリ

広い敷地でいい感じの場所だが、残念ながらピーク過ぎなのか、はるか遠方に最大でも数羽しか見られなかった。300ミリの望遠レンズでは力不足で、以下の写真は撮影時に画像サイズを1.5倍拡大し、さらに撮影後に周囲をトリミングしている。

 

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釧路市丹頂鶴自然公園

周囲を金網のフェンスで囲まれているが、ところどころに覗き穴がありフェンスを通さず写真が撮れるよう工夫されている。敷地の上部は開放されているが、現在は鳥インフルエンザ対策のため、羽を切って飛べないようにしているという。3ヵ所の中では、ほぼ確実に最も間近にタンチョウを見ることができる。

 

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釧路(2)-釧路湿原 [日本]

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327日、朝4時過ぎにホテルを出て、釧路市湿原展望台の奥にある北斗展望台で日の出の写真を撮った。この日釧路の日の出は5:14。この時刻になっても日の出が見られずハラハラしたが、北斗展望台は釧路より西方のため日の出も数分遅れなのだと納得した。それはともかく、自然のエネルギーと悠大さを感じさせる時間、場所だった。

 

このあと、鶴居村、コッタロ湿原展望台、細岡展望台などを回った。コッタロと細岡の間に長い砂利道があったが、そこでエゾシカを多数見かけた。湿原に立ち入ることはしなかったが、ほかではなかなか見ることができない光景がいろいろありそうだった。

 

<北斗展望台>

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<鶴居村>

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コッタロ湿原展望台

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細岡展望台

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釧路(1)-幣舞橋の夕景 [日本]

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釧路、という名前には何かしら旅情をそそるものがある。北海道の中でも最も北海道らしいと言われる道東の中心都市、そして豊かな自然を背後に持つ港町。私が以前訪れたのは30数年前だが、当時から既に経済的には苦境に陥っていた。最近読んだ増田寛也(編著)『地方消滅』の中でも、釧路圏は「周辺地域から拠点都市への人口流入が少なく、一方で拠点都市から他地域への流出が多く、拠点都市が「大幅な流出超過」となっている地域」(p. 106)と、北海道の地域圏の中でも最低の評価となっている。北洋漁業の減退や太平洋炭礦の閉山など主力産業の衰退が主因だという。

 

一方で、ラムサール条約にも登録された広大な釧路湿原や日本で唯一のタンチョウの生息地があるなど観光資源は豊富だ。最近は、幣舞橋(ぬさまいばし)から釧路港を望んで見られる日の入りが「世界三大夕日」の一つとも言われているようだ。どこまで国際的な認知があるか知らないが、確かにこの夕日は素晴らしい。それにも関わらず衰退しているというのは、観光だけでは食べていけない、ということか。

 

もとより、こうした難しいことを考えて釧路に行こうと思ったわけではない。ある金融機関の広報誌が釧路の観光特集記事を載せていたのをたまたま目にして、無性に行きたくなったからだ。当初は3月のはじめに予定を組んだが、当日、雪のため飛行機が欠航となり、3月の終わり(262728日)に再調整したのだった。3日間とも暖かく好天に恵まれたが、特に初日は快晴に近かった。これで幣舞橋の夕日の写真を撮らない手はない。

 

翌日、市内を歩くと、公共施設などは新しく立派なものがいくつかあったが、人通りは少なく、既に閉鎖された商業ビルもいくつかあった。この愛すべき街に何とか再生してもらいたいと思いながら歩いた。

 

<幣舞橋の夕景>

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<釧路市内、和商市場、釧路丹頂市場>

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鎌倉の紅葉-荏柄天神社、鎌倉宮、瑞泉寺 [日本]

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125日(金)に次いで6日(土)も鎌倉に写真を撮りに行った。前日、天園ハイキングコースの終点、瑞泉寺の脇を通ったが、急いでいたので中を見学できなかったこと、江ノ島から見た富士山の夕景写真も不満足だったことなどが気にかかっていたからだ。

 

鎌倉駅に着くと、週末ということもあり、前日以上の混雑で、小町通りは歩くのも容易でなかった。最初に寄ったのは荏柄天(えがらてん)神社だ。菅原道真を祭神とし、九州の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と並ぶ日本三古天神の一つらしい。ただ、立派な銀杏の木はあったが、モミジはほとんどなかった。次いで訪れたのは鎌倉宮。本数はそれほど多くないものの、きれいに色づいたモミジがよかった。さらに瑞泉寺まで行った。名刹の誉れ高いお寺だが、私には傾斜地を利用したダイナミックな造形が特に見事だった。モミジはそれほど多くなく、梅の木が多かった。梅は2月中旬が見頃だという。是非再訪したい。

 

前日と同様、最後に江ノ島に行った。しかし、この日の富士山はすっぽりと雲に隠れたままで、到着後には通り雨が降り、いったん引き返しかけたくらいだ。幸い日の入りは見ることができたが、富士山のシルエットと同時にという願いは叶わなかった。

 

<荏柄天神社>

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<鎌倉宮>

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<瑞泉寺>

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<江ノ島-岩屋>

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鎌倉の紅葉-円覚寺、建長寺、天園ハイキングコース [日本]

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先週の金曜日(125日)、仕事が一段落したのと、好天だったことから鎌倉に紅葉の写真を撮りに出かけた。朝10時過ぎに着いたが、北鎌倉の駅は既に多くの観光客でいっぱいだった。まず駅の近くの円覚寺に立ち寄ったが、結構いい感じにモミジが紅葉していた。一方、建長寺は、低地の境内にはあまりモミジはなかったが、裏手の高台を上ったところにある半僧坊はさすがモミジの名所だけあって見事だった。

 

半僧坊から瑞泉寺にかけては、天園ハイキングコース(別名、鎌倉アルプス)と呼ばれるハイキングコースがある。今回の楽しみの一つでもあり、早速歩き始めた。道中、モミジの紅葉にはあまり出会わなかったが、3ヵ所ほど富士山がきれいに見えるスポットがあり驚いた。都内から見るよりも随分と近く感じる。

 

この日は欲張って、江ノ島から富士山と日の入りの写真を撮りたいとも思っていた。しかし、天園ハイキングコースとその終点、瑞泉寺から鎌倉駅まで歩くのに結構時間がかかり、結局江ノ島に着いたのは日没後だった。富士山のシルエットはきれいに見えたが、すさまじい強風のため、弁天橋から写真を撮って引き返すことにした。夕焼けに染まる富士山を撮りたいと思っていただけに少し残念だった。

 

<円覚寺>

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<建長寺>

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<天園ハイキングコース>

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<江ノ島・弁天橋より>

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小樽再訪 [日本]

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118日(土)の午後、札幌出張の機会を利用して小樽を訪れた。小樽は、私には懐かしい街の一つだ。1981年、札幌勤務時の初夏の1週間、業務研修の一環としてこの街に通ったことがある。その年の冬の週末にも一度訪ねた。それから33年、小樽運河沿いの倉庫街が観光地になったとか、寿司屋通りなるものができたとか、風の便りには聞いていた。はたまたカジノ誘致運動まであるらしい。

 

はたして、再訪した小樽はどうだったか。確かに、街は随分こぎれいになったと感じた。小樽運河には、中国人観光客らが大型バスを連ねてドッと訪れ、集合写真を撮ったり、食事をしたりして、ドッと立ち去っていく。日本人の若い女性や欧米人観光客らも目立った。しかし、運河や倉庫街の何が見所なのだろうか、と問うと私自身はよくわからない。最近人気らしい寿司屋通りも、少なくとも私が入った店に関しては、値段と量・質のバランスがそれほど良いとは思えなかった。

 

部外者の勝手なノスタルジーと言われるかもしれないが、私にとっての小樽は、北国の港町として、一時期それなりに栄華を誇ったこの町の歴史、そしてその矜持を保たんとして暮らすこの町の人々の健気な心持ちだ。それは小林多喜二や伊藤整など、この町で青春時代を過ごした作家たちの生き方をも連想させる。

 

日が暮れてしまう前、33年前の冬にも訪れた市の高台にある旭展望台まで歩いて上ってみた。随分と遠い気がした。33年前は雪道を歩いて上ったが、それほどきつかったという記憶はない。変わってしまったのは私の体力、気力なのかもしれない。老兵は消え去るのみか、と思うと少し寂しかった。

 

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札幌の紅葉 [日本]

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今年もあっという間に師走になった。特に911月は週末も含め、なかなか自由な時間がとれなかったが、それでもちょっとした「スキ」があれば、趣味の写真撮影をした。例えば、117日(金)の午前・午後、札幌で用務があり主張したが、6日(木)の午後、8日(土)、9日(日)の午前はフリーに過ごした。以下はそのとき札幌で撮った紅葉の写真だ。

 

札幌は、私が20代前半の1年間、勤務したことがあり、その後も何度か出張やプライベートで訪れたことのある懐かしい街だ。しかし、紅葉の写真撮影と目的を定めて歩き回ったのは今回が初めてだ。6日(木)の午後、札幌駅に着いて、すすきの近くのホテルまで歩く途中、立ち寄ったのが時計台(冒頭の写真)と旧・道庁赤レンガ庁舎だ。実を言うと、札幌在住中、旧・道庁赤レンガ庁舎を訪れたことはなかったが、この庁舎前の小さな公園や池は紅葉の撮影スポットとして実に見事だった。

 

<旧・道庁赤レンガ庁舎>

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8日(土)の朝は北大キャンパスを訪れた。広大なキャンパスのごく一部を歩いたに過ぎないが、キャンパス全体が公園のようで、日本にもこういう贅沢なキャンパスがあるのかと驚いた。

 

<北大キャンパス>

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9日(日)の午前は、北大植物園でのんびりと写真を撮るつもりだったが、何と北大植物園は114日から428日まで休園とのこと、鉄格子の柵からは見事な紅葉が見えただけに残念だった。そこで急遽代わりに訪れたのが中島公園だ。紅葉の名所とは言い難いが、よく見るとさまざまな紅葉を楽しむことができた。食べ物、自然など、やっぱり札幌は良いなー、と実感した週末だった。

 

<北大植物園、中島公園>

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金沢の紅葉-本多の森、尾山神社など [日本]

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1127日(木)、兼六園を訪れたあと、近くの「本多の森」に行ってみた。石川県立美術館の裏手にある遊歩道だが、私が子供のころは現在のような美術館も、このように整備、公開された遊歩道もなかったと思う。加賀藩の家老だった本多家の屋敷裏手の傾斜地だが、野趣あふれる紅葉はなかなか見事だった。このほか、紅葉の撮影スポットとしては尾山神社もオススメと思った。

 

それにしても、香林坊、片町といった「繁華街」も含め、何と静かで人出の少ないことか。私の実家の周辺も空き家や空き地が目立つ。金沢駅や金沢市役所前には、来年314日の北陸新幹線開業を控え、「新幹線が春を連れて、やってくる」との幟がかかり、新しい商業施設の建設も進んでいるが、はたしてどうなることか。人口が減っても、この街が持つ長い歴史、伝統に支えられた豊かな文化はぜひ生き残ってほしいと切に願うのみだ。

 

<本多の森>

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<旧制四高>

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<尾山神社>

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<長町武家屋敷街>

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<尾崎神社>

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金沢の紅葉-兼六園 [日本]

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ここ数ヵ月間、ブログの更新からすっかり遠ざかってしまった。一つには、この春フェイスブックを開設し、日常生活や小旅行の写真は結構そちらにアップするようになったことがある。もう一つは、この秋、長期出張が入るなど、余裕のない日々が続いたことがある。いずれも言い訳になってしまうが、自分の考えをきちんと伝えるのは、やはりフェイスブックよりもブログだと思う。そこで、しばらくは「リハビリ」になると思うが、徐々にでもブログを続けていこうと思う。

 

今回のテーマは「金沢の紅葉」。1126日(水)~28日(金)、久しぶりに金沢に帰省した。この秋、唯一3日間連続した休みがとれたからだ。幸い27日(木)は、この時期の北陸には珍しく、1日中晴れたので、朝から夜まで紅葉の写真を撮って歩いた。まず訪れたのは兼六園。残念ながら紅葉はかなりが落葉しており、時期的には少し遅かったが、そこはさすがに兼六園、まだまだ見所は残っていた。例えば、池に落ちた紅葉、蜘蛛の糸一本でつながる紅葉、・・・。「紅葉」から「落葉」の時期に差し掛かった自分としては、何かと身につまされる光景ではあった(笑)。

 

また、夜は兼六園と金沢城で無料入園のライトアップ(1121日~30日)をやっていたので、兼六園の方に行ってみた。これまた、良い経験だった。闇夜は万難を隠す、などとは言うまい(笑)。昼間だって素晴らしいのだから。

 

<兼六園の紅葉>

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<兼六園のライトアップ>

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湯河原-千歳川沿いの花々 [日本]

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先週、12日で湯河原に行ってきた。大学生はまだ夏休みの時期だが、平日のせいもあるのか、街は閑散としていた。泊まったホテルは、われわれ以外に高齢の団体客(中学の同窓会など)が来ていたが、稼働率は低そうだった。箱根や熱海など近くに強力な競合地があるせいだろうか。海にも近く、立派な温泉や渓流があるのにもったいないような気がした。私が特に気に入ったのは、街を縦断して流れる渓流、千歳川沿いの花々だった。

 

特に、オレンジ色のキバナコスモスと、白い十字形のセンニンソウ(仙人草)があちこちに咲き誇っていたのは圧巻だった。また、河原にヒマワリが植えられていたが、夏の終わり、少々くたびれた様子だった。これら以外にもさまざまな花々を見ることができ堪能した。ふと見ると、ススキの穂が出て、秋の訪れを告げていた。

 

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「桃李不言 下自成蹊」 [日本]

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先日、2014年上半期(16月)、日本への外国人観光客数(「訪日外客数」)が過去最高になったとの報道があった(日本政府観光局(JNTO)調べ)。実際、このごろ東京だけでなく、ちょっとした観光地に行くとごく普通に外国人観光客の姿を見かける。円安効果もあるのだろうが、私はかねてより日本の観光資源は人工的なもの、自然、人々などトータルに見て世界有数だと思っているので、素直に喜んでいる。

 

もっとも増えたとは言え、国際的にはまだまだである。観光庁ホームページにある「2012年入国旅行者数ランキング」によると、日本は836万人で世界33位、アジアでも8位である。世界のトップ5は、フランス(8,302万人)、米国(6,697万人)、中国(5,773万人)、スペイン(5,770万人)、イタリア(4,636万人)で、アジアで日本より多い国は中国、マレーシア(2,503万人)、香港(2,377万人)、タイ(2,235万人)、マカオ(1,358万人)、韓国(1,114万人)、シンガポール(1,039万人)である。中国がスペイン、イタリアより多いとか、マレーシア、タイ、韓国などが日本より多いというのは少々意外だった。

 

こうしたことから政府がさまざまなマーケティング戦略に力を入れるのもうなずける。問題はここから先だ。このごろテレビ番組で、外国人をスタジオに呼んだり、街でインタビューしたりして、日本の良さを語らせているのを何度か目にした。日本人視聴者として悪い気はしないが、彼らが感じる日本の問題点についてももっと引き出すべきではなかろうか。自己満足だけからは改善は生まれない。

 

それにしても、日本人の気質も変わってきたなと思う。一昔前までは、自分のことを他人に対して良く言う(自慢する)というのは「謙譲の美徳」に反するはしたない行為であった。ところが、これが「グローバリズム」なのか、ネット上でも対面でも自分をアピールする傾向がどんどん強くなっているように感じる。中身が伴っているのならまだよいが、明らかに誇大広告、ハッタリ、虚言に類するものも多い。

 

以前このブログで世界有数の観光地モン・サン・ミッシェルの貧相なムール貝と、アメリカメイン州の田舎レストランで大盤振る舞いされたロブスターを対比したことがある(201253日付)。有名観光地の貧弱なサービスと、ふつうの町の豊かなおもてなし、観光業のマーケティングに携わる人たちにはぜひこの問題を解決してもらいたい。日本の観光業は、まだそれほど「すれていない」と思うので、その可能性は十分あると思う。

 

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最後に、マーケティング嫌いの私から余談を。かつて私が尊敬するK先生から司馬遷の『史記』を勧められたことがある。先生が好きな箇所の一つは、悲運の名将、李広に関するつぎの一節だ。

 

太史公曰く、伝(でん)に曰く、「其の身正しければ、令(れい)せずして行なわる。其の身正しからざれば、令すと雖も、従わず」と。其れ李将軍の謂(いい)なり。余、李将軍を睹(み)しに、悛悛(しゅんしゅん)として鄙人(ひじん)の如く、口、道辞(どうじ)する能わず。死するの日に及び、天下、知ると知らざると、皆為(ため)に哀(あい)を尽くす。彼れ其れ忠実の心は、誠に士大夫に信ぜられしなり。諺に曰く、「桃李(とうり)、言わざれど、下、自(おのずか)ら蹊(けい)を成す」と。此の言、小なりと雖も、以て大に喩(たと)うべきなり。

 

太史公のことば-

経典(けいてん)にいう、「その人自身が正しければ、命令を下さなくても行われ、その人自身が正しくなければ、命令しても服従しない」と。これは李将軍のことをいったようなものである。わたくしは李将軍を見かけたことがある。田舎者のように実直で、口べたでうまく物がいえなかった。死んだ日には、かれを知っているものも知らぬものも、全国の人人がみなかれのために哀悼のかぎりをつくした。実にかれの誠実な心が、世のインテリたちの信用をえたからである。諺にいう、「桃や李(すもも)はものを言わないが、その下にはしぜんと小道ができあがる」と。このことばは小さなたとえにすぎぬが、大きなことのたとえにもなりうるものである。

(田中謙二・一海知義『史記・下』朝日選書、1996pp. 198-199

 

言うまでもなく、安倍首相の母校、成蹊大学の名前はこの故事に由来する。

 

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*写真は7月中旬浅草で。浅草寺周辺は特に外国人観光客が多かったが、ここが日本の代表だろうか、もし外国人に日本で見てほしい場所があるとしたらここだろうか、と考え込んでしまった。


日光-刈込湖・切込湖 [日本]

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日光2日目の729日は、湯ノ湖北岸の湯元温泉を出発点とし、その奥にある刈込湖・切込湖まで往復した。刈込湖・切込湖からさらにグルっと大回りして戦場ヶ原の北方に戻るのが本来のハイキングコースだが、途中でバテバテになってしまい、引き返したというのが実態に近い(笑)。ガイドブックなどには「初心者向け」とあるが、特に行きは岩の多い上り道で暑い時期は相当疲労困憊する。ペットボトルは500mlのものを2本は用意した方がよいと思う。

 

出発点、湯元温泉の奥まったところに強い臭いを放つガスが地表からわき出る湯元温泉地がある。そのさらに奥まったところから、あまり目立たない山道に入るのだが、最初は延々と続く岩だらけの上り道だ。刈込湖の近くに至ると整備された階段の下り道となるが、既にヘトヘトだった。湖畔まで下りてしばし休んだ後、細い水路でつながった隣の切込湖に向かう。こちらは湖畔に下りる道が整備されていないため、木々の間から湖面を望むに止めた。しかし、その青緑色の水面はあまりに美しく、それまでの労苦も報われた気がした。そして、同じ道を引き返して湯元温泉に戻り、隣接した湯ノ湖の湖畔を少しばかり散策したが、既にエネルギーは使い果たしていた(笑)。

 

<湯元温泉地>

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<湯元温泉→刈込湖・切込湖>

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<刈込湖>

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<切込湖>

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<湯ノ湖>

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日光-戦場ヶ原 [日本]

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728日の朝、日光に着いて最初に竜頭の滝を見たあと、三本松茶屋の駐車場に車を停め、戦場ヶ原を一周した。まず湯滝まで東側の120号線沿いを北上し、そこで引き返し、今度は西側の湯川沿いを南下した。この時期あちらこちらで目立ったのは小さなピンク色の花弁が束になったホザキシモツケだが、ノアザミ、コオニユリ、ヤマオダマキなどもところどころに咲いていた。珍しい蝶もいくつか見かけた。ルートは基本的に平坦なのでそれほど疲れなかったが、途中、湯滝の食堂で昼食をとったり、のんびりと写真を撮ったりしながら回ったので、トータル4時間ほどの行程となった。

 

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日光-滝 [日本]

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ここ数年、夏といえば信州方面に小旅行することが多かったが、今年は日光に2回行った。1回目は76日で霧降高原へ(76日付、当ブログ参照)、2回目は72829日で戦場ヶ原、切込湖・刈込湖へ。いずれもハイキングをしながら高山植物や渓流、滝、湖などの写真を撮ることができ、私には嬉しいコースだった。東京の東部からは信州へ行くよりも近いので若干の分があるかもしれない。

 

冒頭の写真は、有名な華厳の滝と中禅寺湖で、いろは坂の上にある明智平(あけちだいら)からロープウェイで上った展望台からの光景だ。明智平にはこれまで34回訪れたことがあるが、晴れて遠くまで見渡せたのは今回が初めてだった。ロープウェイの係の人にも聞いたが、よくガスがかかって見通しが利かなくなるようだ。中禅寺湖の北側にも有名な滝がいくつかある。竜の頭に擬せられる「竜頭の滝」、湯ノ湖から流れ落ちる豪快な「湯滝」、そこから湯川を少し下ったところにある「小滝」などだ。

 

<竜頭の滝>

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<湯滝>

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<小滝>

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新緑の奥入瀬渓流、十和田湖 [日本]

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八戸滞在の2日目(61日)、T君と東京から駆けつけたO君を加えた3人で奥入瀬渓流に出かけた。奥入瀬渓流は、自然の中の散歩と写真が好きな私にとって、以前からずっと行ってみたかったところの一つだ。八戸からの道路は空いており、1時間半のドライブで石ヶ戸(いしげど)に着いた。道中、かなりの山道かと勝手に想像していたが、比較的平坦で田植の終わった水田が朝日に映えて美しく、山頂付近に雪が残る八甲田連峰もくっきり見えた。

 

奥入瀬渓流は、石ヶ戸から子ノ口(ねのくち)まで歩いた。4時間半くらいかかったが、浅瀬あり、急流あり、滝ありと全く飽きなかった。写真を撮りながらだったからかもしれないが。ただ、子ノ口で十和田湖に抜け出たときは、さすがに達成感、ある種の解放感を感じた。このあと、クルマで十和田湖畔の中心地、休屋(やすみや)まで行き、あたりを散策した。好天の日曜日の昼過ぎ、もっと人出があるかと予想していたが、閑散としており、閉めきった店舗も多かった。一訪問者としては混雑しているより空いている方がよいが、これだけの観光資源が閑散としているのはもったいない気もした。

 

<奥入瀬渓流>

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<十和田湖>

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八戸の夕景 [日本]

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先週末、かつての教え子T君を訪ねて八戸へ行ってきた。実を言うと青森県は初めてだ。土曜日は午前中仕事だったので、午後、新幹線に乗って約3時間、5時過ぎに八戸に着いた。(乗り換えもなく、私の実家、金沢に行くよりもよほど便利で近い。)そのあと、出迎えに来てくれたT君の案内で、種差(たねさし)海岸、葦毛崎(あしげざき)展望台を訪ねた。いずれも約1年前、三陸復興国立公園に指定されたという。夕暮れ近くということもあり、種差海岸はあまり人がいなかった。太平洋側は東なので日没は直接見えず、夕やけもあまり濃くない。しかし、葦毛崎展望台では西側の空も望めるため、夕やけが見事だった。そのことを知っているのか、われわれ以外にも三々五々、来訪者がいた。

 

このあと、市内の繁華街にある居酒屋に向かったが、途中、八戸港の全景を見渡すことができるスポットがあり、ここの夕やけもよかった。特に、八甲田連峰のシルエットがくっきりと見えたのには感激した。居酒屋では東京ではあまり聞かないような魚介料理を美味しく食した。町の雰囲気や家並みは北海道と似ているように感じた。スナックが結構あり、居酒屋でもホステスさんと思しき女性を何組か見かけた。T君によれば、八戸では比較的高収入を安定的に得られる仕事となると公務員関係になってしまうとのこと。多くの若者が東京など大都会を目指すのも理解できる。しかし、それが日本全体の豊かさや発展にとって長期的にプラスなのかと言えば、どうもそうではないような気がしてならない。そんなことをあれこれ考えた八戸の夜だった。

 

<種差海岸>

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<葦毛崎展望台>

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<八戸港の夕景>

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明治村(5)-5丁目 [日本]

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明治村巡りも最終回となった。この地区(5丁目)で特に印象深かったのは、「51.聖ザビエル天主堂」(ステンドグラスから差し込む光の反射光の美しさ)、「52.金沢監獄正門」(郷里での子供時代の思い出)、「64.菊の世酒蔵」と梅林、蒸気機関車(旅愁漂うレトロな光景)、「67.帝国ホテル中央玄関」(オーソドックスな構造美)などである。正門から北門までかなりの距離を歩いたが、正門を発着する帰りのバスに間に合うよう、早足で正門まで引き返した。

 

51.聖ザビエル天主堂<京都市中京区>

*京都市中京区河原町三条にあったカトリック教会。明治23年(1890年)に建てられ、昭和42年(1967年)まで使われた。ヨーロッパで数多くの教会を訪れた経験で言うと、ここのステンドグラスは最もシンプルなデザインに属するが、その透過光が壁や床、机などに反射するさまは最も美しいものの一つだ。

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52.金沢監獄正門<石川県金沢市>

*明治40年(1907年)に建てられ、昭和46年(1971年)まで現存した。ということは、私が中学に入学したころまであったはずで、しかもその跡地は現在、金沢美術工芸大学・金沢大学医学部保健学科の敷地になっているというから、私の実家から歩いて20分ほどだ。しかし、どうもあそこに刑務所があったという記憶が判然としない。小立野台地という丘の上にあり、子供のころはそこまで行くことはあまりなかったからだろうか。

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53.小那沙美島(こなさみじま)燈台<広島県佐伯郡沖美町>

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54.天童眼鏡橋<山形県天童市>

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55.隅田川新大橋(しんおおはし)<東京都中央区>

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56.大明寺(だいみょうじ)聖パウロ教会堂(長崎県西彼杵郡伊王島)

*明治6年(1873年)に日本でキリスト教が許されてから最も早く建設された教会堂の一つ。外観は農家風だが、内部は後期ゴシック様式、と解説パネルにあったが、なるほどそうだ。

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57.川崎銀行本店<東京都中央区>

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58.皇居正門石橋飾電燈<東京都千代田区>

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59.内閣文庫<東京都千代田区>

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60.東京駅警備巡査派出所<東京都千代田区>

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61.前橋監獄雑居房<群馬県前橋市>

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62.金沢監獄中央看守所・監房<石川県金沢市>

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63.宮津裁判所法廷<京都府宮津市>

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64.菊の世酒蔵(きくのよさかぐら)<愛知県刈谷市>

*もとは明治初年、愛知県碧南市で穀物蔵として使用されたもので、明治28年(1895年)刈谷市に移築され、「菊の世 廣瀬酒造」の仕込蔵として使用された。大きく立派な蔵で、裏手の梅林はちょうど満開だった。私は蔵の中にいてシャッターチャンスを逃してしまったが、梅林の背後を蒸気機関車が走っている。

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65.高田小熊(おぐま)写真館<新潟県上越市>

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66.名鉄岩倉変電所<愛知県岩倉市>

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67.帝国ホテル中央玄関<東京都中央区>

*アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトが設計した高級ホテルとして有名(大正12年(1923年)竣工、昭和43年(1968年)解体)。大正12年(1923年)91日の竣工披露式当日、関東大震災が発生したが、この建物の被害は少なかったという。

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明治村(4)-4丁目 [日本]

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この地区では、私の親戚にブラジル移民がいることや、私自身ハワイで2年間暮らしたことなどから、「39.ブラジル移民住宅」や「40.ハワイ移民集会所」が興味深かった。ハワイは、1990年代の半ば、ホノルルのある研究所に勤めていたのだが、そこにマリーという60代の日系女性が経理部長で働いていた。ほかにも日系人は多かったが、その誰とも日本語で話したことはない。実際、2世以降では話せない人が大半だ。しかし、マリー自身は子供のころ両親とともにハワイに来たと言っていたので、両親の日本語を聞いて育ったはずだ。彼女はあるとき、日本語を話さない理由を私にさりげなく言ったことがある。「日本語で銭(ぜに)というのは貧乏人が使う言葉なんでしょ。私の知っている日本語はそういう言葉だから。」

 

34.第四高等学校武術道場「無声堂」<石川県金沢市>

*柔道、剣道、弓道の3つの道場からなっており、大正6年(1917年)に建てられた。「無声堂」の名は「孫子 虚実篇」から取られたものという。

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35.日本赤十字社中央病院病棟<東京都渋谷区>

*日本赤十字社の前身は、明治10年(1877年)、西南戦争の際に設立された博愛社。その後、明治19年(1886年)、日本のジュネーブ条約加入に伴い、翌明治20年(1887年)社名を日本赤十字社と改称し、万国赤十字社に加盟した。

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36.歩兵第六聯隊兵舎<名古屋市中区>

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37.名古屋衛戍(えいじゅ)病院<名古屋市中区>

*明治11年(1878年)に設立された旧日本陸軍の病院。衛戍病院とは衛戍地(軍隊が常駐して防衛する重要地域)の病院の意。

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38.シアトル日系福音教会<アメリカ・ワシントン州シアトル市>

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39.ブラジル移民住宅<ブラジル・サンパウロ州レジストロ市>

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40.ハワイ移民集会所<アメリカ・ハワイ州ヒロ市>

*明治22年(1889年)の建設で、ハワイ島へ移住した日本人が教会として用い、その後、集会所として利用した。

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41.六郷川鉄橋<東京都蒲田・神奈川県川崎間>

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42.尾西(びさい)鉄道蒸気機関車1

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43.蒸気機関車12号・9号・三等客車

*蒸気機関車は、「44.鉄道寮新橋工場(機械館)」の裏手(「SL名古屋駅」)と、明治村の北口(「SL東京駅」)の間を走っている。この写真は、「64.菊の世酒蔵」の裏手で撮った。ロープをはった通路が線路脇まで伸びていたが、おそらく「撮り鉄」用に造ったのであろう。

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44.鉄道寮新橋工場(機械館)<東京都品川区>

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45.工部省品川硝子製造所<東京都品川区>

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46.宇治山田郵便局舎<三重県伊勢市>

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47.本郷喜之床(きのとこ)<東京都文京区>

*明治末年ころに建てられた床屋。この建物の2階を石川啄木が家族とともに間借りしていたという。

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48.小泉八雲避暑の家<静岡県焼津市>

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49.呉服座(くれはざ)<大阪府池田市>

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50.半田東湯(はんだあずまゆ)<愛知県半田市>

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明治村(3)-3丁目 [日本]

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上の写真は、1丁目の高台から望む北里研究所本館・医学館。明治村の建物は高台、低地、林、池など自然の中にうまく溶け込んで配置されているのも魅力だ。

 

24.京都市電

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25.北里研究所本館・医学館<東京都港区>

*北里柴三郎と言えば破傷風やジフテリアの血清療法の考案、ペスト菌の発見など多くの業績で知られる医学者だ。彼は、内務省所管の国立伝染病研究所の所長を務めていたが、大正3年(1914年)、政府は彼に相談することなく、この研究所を文部省に移管(東大の下部組織に)することを決めた。北里はそれに反発して所長を辞職し、新たに設立したのがこの北里研究所である。館内には結核との闘いの歴史や北里の「医道論」の抜粋などが展示されており、明治人の偉大さに改めて感動した。

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26.幸田露伴住宅「蝸牛庵」(かぎゅうあん)<東京都墨田区>

*幸田露伴が多くの作品を著した住宅で、向島寺島町の酒類商甲州屋(雨宮家)の別棟だった。「蝸牛庵(かたつむりの家)」という名前は、露伴がやどかりのように何度も住まいを変えたことにちなむという。

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27.西園寺公望別邸「坐漁荘」(ざぎょそう)<静岡県清水市>

*修復工事中のため、中に入ることはできなかった。

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28.茶室「亦楽庵」(えきらくあん)<京都市北区>

*修復工事中のため、写真を撮ることができなかった。

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29.品川燈台<東京都港区>

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30.菅島(すがしま)燈台附属官舎<三重県鳥羽市>

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31.長崎居留地二十五番館<長崎県長崎市>

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32.神戸山手西洋人住居<神戸市生田区>

*別棟の室内は日本間で、窓の一部は和風になっている。

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33.宗教大学車寄<東京都豊島区>

*宗教大学とは、明治20年(1887年)に設立された浄土宗の大学で、大正15年(1926年)、天台宗大学、豊山大学と合併し、大正大学となった。校舎は昭和43年(1968年)の解体まで使用されたという。

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68.芝川又右衛門(しばかわまたえもん)邸<兵庫県西宮市>

*芝川又右衛門とは、大阪で唐物商を営んでいた富豪で、茶道にも通じた数寄者だった。彼が週末を過ごすための別荘として、西宮の甲東園(こうとうえん)に、明治44年(1911年)建てたもの。

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明治村(2)-2丁目 [日本]

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1丁目の三重県庁舎をざっと見て、その右脇の坂を下りると左手に第四(だいし)高等学校物理化学教室があった。(しつこくルビを振って恐縮だが、「よん」ではなく「し」と読む。これは私に教養があるからではなく、単に地元出身だからに過ぎないが。)正面ではなく左側の入口を入るとすぐのところに「谷口吉郎・土川元夫顕彰室」という部屋があった。私は谷口吉郎(たにぐちよしろう)(1904-1979年)という名前を子供のころから知っている。郷土、金沢が生んだ高名な建築家(東工大名誉教授、明治村初代館長)で、小学生か中学生の時に私の学校に講演に来られたことがある。一方、土川元夫(つちかわもとお)(1903-1974年)の名前は初めてだったが、彼が名鉄の取締役社長として、この明治村を昭和40年(1965年)に開設したのだ。二人は、旧制四高の理科に大正11年(1922年)入学した同期の親友だった。この二人の協力によって明治村ができたと思うと感慨深い。なお、土川元夫という人は、京大の法学部を出て、昭和3年(1928年)名鉄に入社、昭和20年(1945年)名鉄労組を結成し、初代執行委員長となり、翌昭和21年(1946年)には取締役に昇進している。戦後のあるタイプの労使関係を体現する人物としても興味深い。

 

14.千早赤阪(ちはやあかさか)小学校講堂<大阪府南河内郡千早赤阪>

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15.第四(だいし)高等学校物理化学教室<石川県金沢市>

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16.東山梨郡(ひがしやまなしぐん)役所<山梨県山梨市>

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17.清水医院<長野県木曽郡大桑村>

*木曽の須原に生まれた清水半治郎が、東京で医学を学んだ後、故郷に戻って開業した医院。島崎藤村の小説「ある女の生涯」の中に須原の蜂谷医院として登場するという。

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18.東松家(とうまつけ)住宅<名古屋市中村区>

*東松家とは名古屋の中心部堀川沿いにあった商家で、明治20年代後半までは油屋を営んでいたが、油から電気への転換を素早く見抜いて金融業に転換し、昭和の初めまで堀川貯蓄銀行を営んでいた。いつの世の中でも鼻の利く人はいるものだ。

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19.京都中井酒造<京都市中京区>

*以前から酒屋の軒先にぶら下がっているボンボンのようなものが気になっていたが、ここの説明パネルでその正体(?)がわかった。曰く、「杉玉(すぎたま)。杉玉は、酒林(さかばやし)ともよばれ、杉の葉を束ねて玉状にまとめたものです。造り酒屋や酒を扱う店の軒先に新酒が出来たしるしとして吊されます」。

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20.安田銀行会津支店<福島県会津若松市>

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21.札幌電話交換局<札幌市大通>

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22.<欠番>

 

23.京都七条(しちじょう)巡査派出所<京都市下京区>

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明治村(1)-1丁目 [日本]

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314日(金)、愛知県犬山市の明治村を1日かけて見学した。ずっと前から、いつか行ってみたいと思っていたところで、ようやく念願が叶った。敷地は100あるといい、全て歩いて回るのは結構疲れた。また、途中からゆっくり見学するというよりも、全部で67ある主要な建物等の写真を全て撮ることが目的のようになり、駆け足になってしまった。ただ、ところどころ、いろいろと考えさせられることがあったのも事実で、本ブログでは、67の主要建造物等の写真を載せるとともに、ところどころの感想を記したい。(以下の番号は、パンフレット「村内地図」や『博物館 明治村 ガイドブック』2013630日に記されたものである。)

 

1.正門-第八高等学校正門<名古屋市瑞穂区>

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2.大井牛肉店<神戸市生田区>

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3.三重県尋常師範学校・蔵持(くらもち)小学校<三重県名張市>

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4.近衛局本部附属舎<東京都千代田区>

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5.赤坂離宮正門哨舎(しょうしゃ)<東京都港区>

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6.聖ヨハネ教会堂<京都市下京区>

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7.学習院長官舎<東京都豊島区>

*明治時代の学習院長というと乃木希典(まれすけ)が有名だ。実際、建物の入口には彼の写真パネルが置かれていた。しかし建物の説明パネルには、「創建当時、第10代院長であった陸軍大将乃木希典は赤坂の私邸から通ったが、その後の第11代から第17代院長はこの建物を住居として使用した」とあり、乃木自身はこの建物をそれほど使ったわけではなさそうだ。乃木大将というと、漱石の『こころ』に出てくる彼の殉死に「先生」が激しく動揺したさまや、司馬遼太郎『坂の上の雲』における手厳しい評価が交錯する。

 

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8.西郷從道(つぐみち)邸<東京都目黒区>

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9.森鴎外・夏目漱石住宅<東京都文京区>

*鴎外は明治23年(1890年)から1年半ほど、漱石は明治36年(1903年)から約3年、この同じ建物に住んでいた。文京区駒込千駄木町にあり、当初は医学士中島襄吉の新居として建てられたものという。

 

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10.東京盲学校車寄(くるまよせ)<東京都文京区>

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11.二重橋飾電燈(かざりでんとう)<東京都千代田区>

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12.鉄道局新橋工場<東京都品川区>、明治天皇・昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)御料車(ごりょうしゃ)

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13.三重県庁舎<三重県津市>

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犬山(2)-犬山城と有楽苑 [日本]

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犬山最後の日(315日)の午前中、犬山城に上った。織田信長の叔父、織田信康が1537年に築城したと伝えられており、現存する天守の中では最も古いという。山の下の猿田彦(さるたひこ)神社から上ったが、坂道はそれほど長くも険しくもない。せっかくなので天守まで上がったが、高所恐怖症のためベランダに出て1周することはできなかった。ただ、東方にある木曽の御嶽山と西方にある金華山の上にある岐阜城の写真は何とか撮ることができた。帰りは針綱(はりつな)神社から下りたが、梅の花が見頃だった。

 

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犬山城を下りたあと、もう一つの名所、有楽苑(うらくえん)に行った。国宝の茶室、如庵(じょあん)がある庭園だ。有楽というのは、織田信長の実弟、織田有楽斎(15471621)にちなんだもので、有楽斎は尾張が生んだ大茶匠であったという。無料のガイドツアーに従い、元庵(げんあん)、旧正伝院(しょうでんいん)書院、含翠門(がんすいもん)、如庵(じょあん)、弘庵(こうあん)などを回った。如庵は内部を覗くことはできるが、写真撮影は禁止だった。弘庵では、お茶(有料)を頂いたが、別に作法を気にする必要はないというのが救いだった(笑)。

 

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犬山(1)-木曽川と郷瀬川 [日本]

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先週末、金沢に帰省する前、愛知県の犬山市で2泊した。明治村の見学がお目当てだったが、犬山の街自体もよかった。街の北部を東から西に木曽川が流れている。川沿いの小高い丘の上に犬山城がある。城山の下を郷瀬川(ごうせがわ)-川幅は狭いが、1級河川だ-が流れ、木曽川へ注いでいる。郷瀬川の川辺は城見歩道と呼ばれる遊歩道になっていて、水仙や菜の花が咲いていた。地元の人が手入れしているようだった。桜の老木も多く、花見の時期はさぞや見事なことだろう。朝、犬山城の写真を下から撮っていたら、近くの小牧基地のものか、自衛隊機が飛んでいった。もう少し素早く対応していたら、お城と飛行機のツーショットが撮れたのに、とちょっと心残りだ。

 

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